>   >  夜景学 第2章

夜景に値段がついている?

「神戸100万$の夜景」観光パンフレットやテレビなど一度は聞いたことがありますよね。 香港、函館山、北九州市の皿倉山など観光名所となっている夜景スポットには、このように夜景に値段がついていたりします。この値段って、何を意味しているのでしょう?疑問に思ったことはないでしょうか?

読売新聞社によると、夜景に値段がついたのは1950年代半であり、灘区高羽から六甲山頂をつなぐ六甲ケーブル線を経営する六甲越有馬鉄道(現・六甲摩耶鉄道)がPR用に名づけたのが始まりだそうです。当初は「百万ドル」。アメリカなどで立派なもの、素晴らしいものにつける枕(まくら)言葉「百万ドルの……」と形容する習慣にちなんだそうです。

一千万ドルになったのは1975年。六甲越有馬鉄道と摩耶ケーブル線の摩耶鋼索鉄道が合併して六甲摩耶鉄道となった際、変動相場制の導入(1971)から4年が過ぎ、1$=360円時代が終わりを告げていたことや諸物価も上がっていたことから、同社が“値上げ”。「香港やサンフランシスコ、函館など他都市への対抗意識もあったようで、市もこれにならったらしいです」と神戸市観光交流課は話したそうです。

夜景もこうして紐解いていくと奥が深いものですよね。


夜景とはブームなのでしょうか?

夜景が世の中に広まり始めたのは、雑誌などで「夜景特集」「夜景の見えるレストラン」などの特集が組まれてからではないでしょうか?

その始まりは角川書店が1990年に発刊した「TokyoWalker」と思われます。現在では北海道・九州・関西・横浜・神戸・千葉ウォーカーなどが発行されていますが、どの「ウォーカー」にも夜景特集があり、また同種類の雑誌にもつぎつぎと「夜景」を取り上げた記事があります。

また1997年頃からはインターネットが徐々に広がりをみせてきて、1999年頃には「夜景サイト」が目立つようになってきました。私がホームページを立ち上げた1997年には夜景ホームページはまだまだ少なかったですが、2002年では50サイト以上の夜景サイトが公開されています。

このことにより、いままで口コミと雑誌での情報でしか夜景スポットを知り得なかった人々が、手軽に情報を引き出せるようになりました。

また2000年以降には首都圏や大都市では、観覧車、高層ビルが全国で建設され、車がなくても気軽に夜景を見ることができるようになりました。このことにより若者だけでなく、家族連れや観光客までもが夜景を楽しむことができるようになりました。さらに2002年末にはカレッタ汐溜(新橋)や丸の内ビルでは、夜景をウリする超高級レストランが注目を浴び、不景気にもかかわらず連日賑わいをみせています。

しかし、私はこれを夜景ブームと考えていません。

人の生活がある限り夜景は無くなるものでなく、若者はもちろんのこと、家族連れやシルバー世代まで楽しむことができ、夜は365日毎日巡り、日本全国夜景を楽しめるポイントが存在しています。

私は夜景の最大の魅力は、人々に感動を与え、想い出を蘇らせることができること考えています。みなさんも夜景をみて感動を覚えたことがあるでしょう。そこでの恋人との甘く切ない想い出や、友人同士で語り合った経験などもあるでしょう。このようなシーンを夜景は想い出として蘇らしてくれます。

さらには私は夜景には「コミュニケーション促進効果」もあると考えています。みなさんのなかにも、日中は面と向かって話せない内容でも、夜間、夜景を眺めながらだと、ふと本音で話せてしまうという経験もあるのでは無いでしょうか?

夜景は一過性のブームではなく、時代・世代・季節・地域を問わずに、人々に感動を与えるレジャーとして、位置付くものだと考えています。